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<description> （24時間おきに更新中）</description>
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<title>悩む力 (集英社新書 444C)</title>
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<description> この本の序章には、グローバリゼーションの進展による格差社会の出現、侵蝕する孤独・孤立化、そして自殺者年３万人といった現代進行形の事象が挙げられている。

 そのような悩ましい世をどのように生きてゆ...</description>
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<![CDATA[
 この本の序章には、グローバリゼーションの進展による格差社会の出現、侵蝕する孤独・孤立化、そして自殺者年３万人といった現代進行形の事象が挙げられている。

 そのような悩ましい世をどのように生きてゆくのか、そういう本かと思って本書を開いたのだが、その予測は見事に裏切られた。
 著者は、この時代に「相互承認」することの重要性を説いている。だが、そんなことは心理学者マズローが「承認欲求」（「欲求段階説」の中のひとつ）という用語でとうに明らかにしていることである。

 また、「人とのつながり方を考えて欲しい」とあるのだが、社員が専らネットワークでしか結びついていないような現代の職場形態（ベストセラー「不機嫌な職場」に詳しい）、また派遣社員の孤立といった状況にある現代社会を、筆者は知らないか、知らないふりを決め込んでいるようだ。

 あとは、青春、愛、老いと各論があるのだが、序論との関連性はもはや全くなく、この本はフォーカスが全く絞り切れていない。そしてこの本は、なにがしかの結論にも達していない。全く唐突に終わる。本としてまとまっていない。底も浅い。だから、この本を読み終えても、全然ピンとこなかった。いったい著者は、何を言いたいのだ？

 我田引水的な解釈も鼻につく。小説「こころ」で、先生は最後に私に告白して相互承認の関係ができたとあるが、そんな読み方はちょっとないだろう。先生のあの手紙は遺書なのだ。

 最近の膨大な数の新書同様、タイトルで売ってしまおうという粗製濫造本。
「悩む力」というタイトルに惹かれ気になっていた本。

本屋で立ち読みしてみようかと思ったら、
「今お勧めナンバー１の本！読み終えるとモヤモヤしていた気持ちがスッキリしますよ〜！」
みたいな内容が書かれたポップに目が止まった。
その本屋の店員が書いたもので、信憑性があり、えらく感動している様子が伝わったので、
読んでみることにした。


★良かった点

●「悩むこと」を肯定してくれているので、
確かに気持ちは少し楽になった。

●「 ウェバーと漱石」を比較しながら論理を展開している点では、
ウェバーをよく知らなかった私にとって勉強になった。


ただ、夏目漱石の心理的な分析においては、
違和感を覚える時がしばしばあった。

私の読みが浅いのか…？
正直、スッキリするどころか、少し混乱してしまい、
後半は、すんなり読み進めることが困難だった。

著者が悩んだ「背景」や、その時の「心理状」、
それを経て行き着いた持論、
この２点は、サンプルとして勉強になったが、
母親の影響を強く受けているような気がして、
新書としては、客観性に欠けているように感じた。

ただ、その分、著者の人間性が窺えて、
著者を知るには良い本だと思う。

期待をしすぎてしまったので、
評価が厳しくなってしまった。








できれば、長嶋茂雄さんのように立教大学の学部を尋ねられて何の迷いも無く「野球部」と答えられるような、悩みのない生き方をしてみたいと思うが、たいていの人は何がしか悩むのが常である。こうした書物を読んでも、悩みから解放されるどころか「悩んだ末、答えは出ない、でも悩むしかない」と著者なりの結論に接し、悩みは尽きないのかと落胆した。その一方で悩んでいること自体を受け入れ、肯定し、少しばかり心が楽になった気もする。現在は、従来の慣習や社会から受ける規制が薄れ、自由に行動を選択できるようになったので、かえって、不自由で悩みが深刻になっているという。悩むことも、相当な力業だということが分かりましたが、現在の若者や子どもたちがそうした力を持ちつづけられるのかと心配します。 
ただし、この著者のように深刻に悩むことができる力を持たず、とても内省的でいられない人は、無邪気に選択の自由を謳歌し、自分の決めた道を爆走できる時代になったともいえます。勿論それが反社会的では困りますが、飯が食えればそれでもいいと思います。 
高校、大学生ぐらいの年代の方には一読の価値ありと思います。ただし、何か解決を求めて読む本ではないと思います。私は精神を病んでいて、薬を服用していますが、それは「中途半端」でしょうか。
悩んだ末に追いつめられて犯罪に走る人々が後を絶たない現状を「それも仕方ない」と言えるでしょうか。
ある歌手の歌に「きっと本当の悲しみなんて自分一人で癒すものさ」というものがあります。それは本書のテーマに共通しているものがあると思います。それは確かに一面の真実ではありますが、同時にそれを言ってしまっては「おしまい」のような気がします。
この本に正解など求めてはいませんが、何が正しいのか誰も分からない現代、「正解など無い」と結論付ける本書の結論すらもどこかうさんくささを感じます。
本書に書かれている事は決して間違ってはいませんが、諸手を上げて賞賛するのも何か違うと思いますので、問題提起として☆一つにさせていただきます。悩むというのはつらいことでもあるけど、それは
自己形成をする上でもとても大切なことです。
この本を読んでそれを再確認できました。

真に知性的な人というのは、物知りな人や情報通
の人のことではなく、悩みぬく中で自らの生き方を
見出した人。
これも、まったくそのとおりだと思いました。

著者が影響を受けた夏目漱石の本も読んでみたく
なりました。
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<title>武士道 (岩波文庫)</title>
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<description>新渡戸は武士道の構成要素として、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義などの諸要素を挙げ、これらの対応物が西洋的エートス（特にキリスト教倫理）の中に存在していることを比較論証し、「武士道」の普遍性を立証しよ...</description>
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<![CDATA[
新渡戸は武士道の構成要素として、義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義などの諸要素を挙げ、これらの対応物が西洋的エートス（特にキリスト教倫理）の中に存在していることを比較論証し、「武士道」の普遍性を立証しようとしている。この辺の叙述は、歴史的な故事や名言が随所に引かれており、今日読んでも分かりやすく興趣に富む。（この点に関連して、武士道がわが国におけるキリスト教伝道のいわば「受容体」として作用するとの期待を彼が抱いていたことは明らかであるように思われる（156頁）。）

しかしながら、率直に云うと個人的には、では「武士道」とは何かという問いに対して彼が十全な回答を提示できているかというと、（残念ながら）そうは思えない。極論だが、彼は個々の構成要素をポンと読者の前に投げ出すのみで、例えば九鬼周造が『「いき」の構造』で示し得たような明晰な形では、その論理的な連関（モデル）を示し切れないでいる。「武士道は何らまとまりたる教義もしくは公式の固守すべきものなき」（165頁）。

なお、新渡戸も西郷南州の言葉「人を相手にせず、天を相手にせよ」との言葉を引いているが（81頁）、これは『九鬼周造随筆集』（岩波文庫）にある九鬼の言葉「私は西郷南洲の「人を相手にせず天を相手にせよ」という言葉が好きである」（61頁）とも期せずして呼応しており、興味深かった。
 桜の花は日本を象徴する花ある。そして武士道も、その桜の花と同様に
 日本の地に独自に咲いた花である。

 よく外国の人に、宗教はと尋ねられ“無宗教です”と答えると
 “アンビリバボー！”言われるそうだが、
 そういう時は“チェリーブロッサム！”と答えようかと思う。
 それでも相手は“それは何？”と言うだろうから
 “チェリーブロッサム＝騎士道”と答えようかと思う。

 教義とか信条とか宗教によるものを持たない日本人の道徳感、倫理観は
 何百年も武士に育まれたものであり、消え去るものではない。

 アメリカ流の勝ち組、負け組の中にどっこい生きてる大和魂
 現在の偏りをなんか変だと思っている方が今一度読んでみてもいい本です。

 
新渡戸稲造の武士道は英文で書かれたものですが、この本では、左側に須知徳平の日本語訳、右側に原文が見開きになっており、比較が容易です。英語は文語が使われているため辞書なしでは読めません。日本語訳は著者が出典を触れていないものも訳注を加えた上で、和歌なら日本語の原文をそのまま載せるなどしており、丁寧な訳です。著者は、武士道は深遠な哲学に欠ける（よりどころとなる経典がない）と繰り返し述べられていますが、孟子・孔子・大学・中庸からの引用がもっとも多く、義・礼の思想をはじめとして、儒教の高い基盤があっての武士道であることがわかります。シェイクスピア、ギリシャ神話、聖書、エマーソン、ニーチェらと対照して、武士道がこれらのいずれにも劣らないレベルにあることが随所に書かれています（キリスト教徒の武士道と一部で言われているのはあたらないと思われます）。しかし、単なる儒教思想の拝借ではなく、それを超えた人の誇りが書かれており、特に、以下の金言は現代人に生きる勇気を与えてくれるものである。“真の武士にとっては、死に急ぎをしたり、死におもねたりすることは、卑怯なことだとされていた”“生が死より恐ろしい場合に、あえて生きることこそ、真の勇気である”“ひとたび心の中で死んだ者には、真田の槍も、為朝の矢も通らないものである。” 望むらくは、詳細な注解が欲しいところです。たとえば、孟子を例にとれば、孟子のどの部分からの引用であるかが書かれておらず、孟子の一章の中の一文だけを引用して読者に理解を求めており、孟子を読んだことのない読者にとっては、完全な理解は難しいと思われます。正直、矢内原氏の翻訳は難しくて
きれいな日本語ではありません。

よって、少しわかりづらい内容に
なっていると思います。

ただし、この時代にこのような思考を持った
日本人がいたことは、世界に誇れることだと
思います。ただの５千円札のオジサンではありません。 これを読むと、日本人の根底にある倫理観とか常識とか道徳観は武士道によっていることがわかる。半ば強引な論理というかルールが日本人の間ではある。例えば、主人が死んだら自分も死ぬとか、そういう感覚。
 それって別に論理的な理由があるわけではなくて、そういうものとして認知されている。この根底が武士道にある、と。何となくこういうルールが日本人を優秀にしていると思った。
 ただ、極端な人間が出てきにくくしているのもやっぱり武士道なんだろうな、という気もする。何事も中庸を推奨するようなところがあるから。
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<title>日本の思想 (岩波新書)</title>
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<description>本書は、丸山真男の数少ない入門書と呼ばれています。

丸山真男は、日本の思想を特徴づけるものは、その「精神的雑居性」にあると喝破しました。これは、日本が八百万（やおよろず）の神の国であった事とも関連...</description>
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<![CDATA[
本書は、丸山真男の数少ない入門書と呼ばれています。

丸山真男は、日本の思想を特徴づけるものは、その「精神的雑居性」にあると喝破しました。これは、日本が八百万（やおよろず）の神の国であった事とも関連しているのかもしれません。この精神的雑居性を示しているものの一つとして、神道があります。ご存じのように、神道は戦時は国体イデオロギーと同居し、それ以前は仏教と長い間同居し、独特の形を作り続けてきました。神道そのものの思想の形、というのはないわけです。 

日本において、多くの思想が輸入されてきましたが、それらは、すんなりと受け入れられてきました。もともとあった思想は、決してこれらと対決をすることがなく、それゆえに、自らの精神的伝統について省察するようなこともありませんでした。この対決の不在は、日本の思想史における座標軸の不在をもたらしています。一方、ヨーロッパでは、これら思想はキリスト教的信仰の強固なバックグラウンドの上に成立しています。


精神的雑居性が日本の思想の伝統であった事は、日本の特殊な事情を生ぜしめていると、丸山は主張します。


１．変容された形での思想の受容
日本では、外来の思想は、精神的雑居性という全体としての思想構造を壊さないように、変容された形で輸入されました。
その一つが、民主主義という思想。民主主義というものは、元々は、行動をその中心とする思想です。すなわち、民主主義国家であるということよりも、民主主義を行うための不断の努力こそが民主主義の特色なのです。しかし、丸山は、日本においてこれはまるで倒錯された形で受容されていると指摘しています。 

丸山は、物事を行うことと、ある立場にあることを峻別すること、そして、日本における「すること」と「であること」の倒錯を反転させる必要性を説きます。政治においては、「政治家であること」が重要なのではなく、「政治をすること」がより重要で、その行為の果実によって政治は評価されるべきだと丸山は主張します。

確かに、「であること」と「すること」はまったく別のものなのですよね。学者だから、弁護士だから、もしくは警察だから正しい、というのは、両者を峻別できていない証拠なのだと思います。自分が、何らかの地位にあることに甘んじずに、行いをしてこそ、物事は価値を持つのだと思います。



２．諸学問の間の断絶と学際精神の欠如
それぞれの思想が一つの土台の上にのって対決をすること通じて積み重なることがないため、学問の諸分野は、それぞれが同じ文脈上にあり関連性を持っていることを忘れられています。このことは、学問分野の根っこを持たない分離を生み出し、数多くのジャーゴンや学際的研究の少なさの要因となっています。 

この「対決の欠如を理由とした断絶」は、別に学問に限ったものでもなく、年代の間でも、趣味の分野でも数々の例を見ることができます。また、思想的対決の伝統がないためか、日本においては、時折生じるこれら対決が、まるで喧嘩を初めする子供の喧嘩の様な感を与えています。 


３．あいまいな精神的雑居性に基づいた、あいまいな行為連関
丸山真男は、その例として神輿担ぎを挙げています。神輿は確かにあり、それは前面に押し出されているのだけれど、神輿を実際に誰がどのように担いでいるのかは、非常にあいまいな形になる。 
この曖昧な行為連関は、時として、深刻な無責任への転化をもたらしうるものです。これを読んだ時に感じたのは、日本におけるインターネット掲示板の在り方。丸山真男がいまも生きていたら、このロジックを、２ちゃんねるの言論環境について指摘する時に用いるのではないでしょうか。 

日本の戦前と戦後の思想状況の断絶も、この精神的雑居性が一因となっているのかもしれません。思想の姿かたちは、戦前戦後で大きく変わっていますが、曖昧模糊さにおいて本質的に変質はしていない感を個人的には受けました。戦前から変わらず残っているのは、官僚機構だけではないのかもしれません。 


うーん、面白かった。



（ちょっと違う文脈で出てきた言葉ですが、「現実と規範との緊張関係の意味」というのはいい言葉だなと思いました。）他のレビューで既に内容に関しては様々なことが指摘されているので、私は内容に関しては触れない。
私がこの本を始めて読んだのは大学一年のときである。それから既に３年が経ったが、当時はかなり難しく感じられ、内容の半分も理解できなかった（特に１章と２章）。
しかし、繰り返し読むうちに段々と理解できるようになっていき、それと同時に、本書で論じられていることが、まるで自分のことのように感じられてきた。
本書は私にとって自分を写す鏡だった。
本書の内容が今でも一般的に妥当だとか、本書が半世紀も前に出版されたにもかかわらず現在いまだそこで論じられる問題が解決されないからといって本書は何の役にも立たなかったとか、色々評価は分かれるだろう。
ただ私は、これだけはいいたい。
本書で論じられていること鵜呑みにするわけでもなく、かといって本書と著者の丸山氏を批判するのでもなく、一度本書の内容を糧として自分を省みて欲しい。
丸山は読書のすすめとして、「古典を繰り返し精読すること」をあげたことがある。
古典は、それが書かれた時代と大きく異なった現代においては内容的に妥当しない点も多々あるが、それでも自分ので考える大きな糧になるのだという。
「読書は他人に考えてもらうことであるから、読書は馬鹿になることだ」という考え方もある。しかし、書物の内容を糧として自分で考えてみようという姿勢で本を読むことは、決して馬鹿になることではないだろう。
そしてそれこそが本当の読書であるように思う。既に多くのレビューが書かれているので、ここでは２点だけ雑感めいたことを。

１点目は、昔の新書は難しかったのだなぁということ。最近の新書はすっかり雑誌化していて、平易な反面で内容の薄いものが大半だが、本書、特に第１章と第２章は、その抽象度の高さと論理展開の複雑さという点で、手加減無しに難解である。一読了解できる人がいるとすれば、相当頭のいい人に違いない（私には到底ムリ）。１９６１年の初版以来、８０刷を超えるロングセラーとなった本書だが、読者のうち少なくない部分は、実は第３章と第４章の講演部分しか理解していないのではないかという疑いを抱かずにはいられない。

２点目は、丸山真男の釣り師性ということ。「あとがき」に書いてあるが、本書第１章の一部記述は、当時の文学者の神経をひどく刺激したらしい。というのも、（おそらくは東大を念頭に置いて）文学部出身者の法学部出身者（典型的には官僚）への劣等感が、日本文学の「抽象的・概念的なものへの生理的嫌悪」を生んでいると論じたからである。本書に限らず、丸山の著書には他人のコンプレックスを逆撫でするような記述が最低一箇所は含まれている。洞察力鋭敏な丸山が気付かずやっているとは到底思えないので、きっとわざとなのだろう。いや、間違いなくわざとだと思う。難しいと仰る方も多いですが、、、。

難しいという言葉には（１）内容が高度、（２）表現が下手、
など、多くの意味があると思いますが、「日本の思想」は少なくとも
（２）の意味で、すなわち表現が下手という意味で難しくは無いと思います。
むしろ、非常にクリアな、清明な読み易い文章だと思う。

確かに、立ち読みだけで読めてしまいそうな最近の多くの新書よりは
骨があり、表現も少々古く、易しくはありませんが（最初の部分）、
何度か反芻しながら丁寧に読んで行けば難しくはありません。

丁寧に読まないと読めないと言う意味では読書の練習にもってこいと思う。
過去幾度も入試問題に使われたのも頷ける。養老孟司氏の『無思想の発見』に引用があったので手にとってみた。

外国人の日本研究者から「日本のインテレクチュアルヒストリィ」を通観した書物はないか、とよく聞かれるが、そういうものがないのはなぜか、という問題意識が出発点である。また社会科学者と文学者では議論が全くかみ合わない。これは日本には異分野の専門家たちが議論するための共通の思想、共通の言葉がないからで、そんな状況になってしまったのはなぜだろう、というのも大きな問題意識のひとつである。

ともかく大変に難しい本で、とくに前半は何が書いてあるのかほとんどわからない。後悔しながらそれでも最後まで読んだが、なんとなくわかったのは、以下。

 １）現代日本に思想や思想史がないのはなぜか。
 ２）明治維新の際、西洋の学問が急激に流入したが、それらをしっかり吸収できるだけの強い伝統的宗教がなかった。
 ３）ために、新思想は日本の伝統的思想と一体化することなく、ただ無秩序に積みあがっただけだった。
 ４）それでも戦前は天皇制が国民共通の思想のベースとなりえたが、戦後はそれもなくなった。
 ５）かくして日本には国民共通の思想がなく、したがって共通の言葉もなく、それぞれが蛸壺のような狭い専門分野の中で生きているため、共通の思想がない。

というようなことだと思う。
本書の初版は1961年だから、半世紀近く前の本だ。
この50年、本書の言説はいったい世の中のどういう役にたったのだろう、とふと思った。
晦渋な表現を好んで操るのは、インテリがインテリであること自体に自己の存在価値を見出しているからであろう。
思想が一部のインテリたちのものである限り、いつまでたっても日本のインテリたちは日本にキリスト教のような普遍的な思想を根付かせることはできない。勢古浩爾氏のいう『思想なんかいらない生活』というのがわかった気がした。
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<title>武士道 (PHP文庫)</title>
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昨日は”武士道”を読了した。欧州にはキリスト教、中国インドには仏教、中近東にはイスラム教があるが、日本はほぼ無信教であり精神の拠り所とするものが無いと思っていた。本書によるとそれに相当するものが武士道、神道ではないかとのことである。義、勇、仁、礼、誠、忠義等他人を思いやる言葉ばかりである。日本人の和を尊ぶ、共同体的社会の良さのルーツだと思う。改めて日本人のよさは武士道にあるのではないかと考えさせられた。日本は鎌倉時代から江戸時代の大変長期にわたり、一時期を除いて武家が支配する国であった。そして、武士道はその根幹を支えた思想である。ところが、武士道というのは、それそのものが聖書のような経典によって書かれて受け継がれてきたものではない。孔子の教えなども武士道の一部であって、すべてではない。しかも、当時の人たちはもうこの世にはいない。よって、武士道を知らない人がそれを知ろうとすれば、一般的には、「忠臣蔵」などの物語や史実をたどることによって断片的に理解を重ねてゆくか、あとは本書を読むのが手っ取り早い方法ということになる。

本書は、下級武士の家に生まれて海外で活躍した新渡戸が、日本についてあまり知識のない外国人向けに武士道について説明するために元々書いた本である。そのため、皮肉なことに昔の日本のことをよく知らない現代に生きる日本人向けのガイドとしても適した一冊となった。よって、難しそうな本だとしり込みする必要はない。訳も、今を生きる日本人向けにやさしく書いてある。

思想として共感する/しないは個人の問題だが、せっかく長い歴史を持つこの国に生まれたのだから、この国を長期にわたって支えていた思想について説明した本書を人生のどこかで読んでおくことは、無意味なことだとはいえないだろう。少なくとも、教養としては知っておいてもよいことだ。

本書を読む点で少し注意が必要だと思うのは、武士道が尊重されてきた背景にある実利的な部分については、十分説明されているとは思われない点である。武士道は精神的なものではあるが、それが維持されてきた背景には、武士道精神を守って忠義を尽くすことで、所領身分が安堵され、しかも自分の子供や孫にもそれを受け継ぐことができたという、武士たちにとって欠かせない実際上有利な点があったのだ。武士道精神を尊び忠義を尽くすことで自らが死んだ場合でもその子供については、そのような立派な親が育てた息子ということで高く評価されて奉公できる場合すらあった。また、武士道とはいっても、実際は戦国時代までは裏切りや寝返りは頻繁で、本当に厳格さを増したのは幕藩体制が確立した江戸時代である。つまり、武士道精神に従うということは、それ自体が時代にそって生きる上で役に立つ方法でもあったのだ。もちろん、支配する側にとってもその方が便利だったことは言うまでもない。

ということで、これはこれでひとつの思想として参考にはなるけれども、やはり時代が違うということも理解した上で読む必要がある。また、世界に優れた思想はこれだけというわけでもない。よって、武士道が日本の思想の中心であった時代とは異なる時代背景で生きている私たちの価値観は、現代を支配する様々な自由と制約の中で、私たち一人ひとりが探して構築してゆかなければならない。日本の文化にこれだけ大きな影響を与えていたとは、全く知らなかった。様々な人の言葉を引き合いに出しながら解説されていて今までの読書の網に引っかからなかったのが悔やまれる。日本人として是非一度読んで頂きたい一冊。時代の違いを感じるところはあるにせよ、日本人の民族性をかなり適切に分析した本であり、この「日本人らしさ」というアイデンティティ的なものが失われつつある現代にこそ必要な本であると思う。
ただ、忠義の点などは時代の違いからなのか、私が個人的には受け入れられないところもあるので、その分、星を控えた。著者・新渡戸稲造氏曰く、 
「武士道は、日本の象徴である桜花にまさるとも劣らない、 
日本の土壌に固有の華である。(中略） 
それは今なお、私たちの心の中にあって、 
力と美を兼ね備えた生きた象徴である。」 

桜花は、 
今もなお、日本の美しい春の象徴として浸透しているけど、 
日本人の独特の根底になっているはずの武士道は 
日本の土壌に根付いているのだろうか？ 

マスコミによって（作られている）姿や情報は、不安にさせる。 

まずは、自分自身の姿勢を正すことからはじめた。 
自分じぶん・・・ではなく、品格を育みたい。 

五常の徳：「仁・義・礼・智・信」 
仁：思いやり 
義：正義の心 
礼：礼儀・礼節 
智：叡智・苦痛 
信：信用・信頼 

八つの徳：：「仁・義・礼・智・信・忠・孝・悌」
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<item rdf:about="http://24bookshop.bestbook-shop.com/detail/05/4003310233.html">
<title>学問のすすめ (岩波文庫)</title>
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<description> 名著です、一度読んでおきたいと思っていた本です。
 江戸から明治の激変期に書かれたこの本は、現在にも
十分通用する内容であり、学問だけでなくさまざまな人生訓
ともなっています。読書の目的：
 小林...</description>
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 名著です、一度読んでおきたいと思っていた本です。
 江戸から明治の激変期に書かれたこの本は、現在にも
十分通用する内容であり、学問だけでなくさまざまな人生訓
ともなっています。読書の目的：
 小林秀雄著「考えるヒント」などにたびたび出てくる"福沢諭吉"。至近で、日本円の札面を一新したときも、変わらず肖像であり続けた"福沢諭吉"、その実像に迫りたかった。

読後感、感想：
 檄文。震えました。しかし、まだ消化し切れていない。

 意訳された文章ではなく、原文で読んでほしい言です。文章の意味だけではなく、語感、語調、行間を含め、文章全体から発せられるメッセージを、体全体で感じてほしい。

 自分が日本人であると、改めて体感したことがある人は、是非、読んでみてください。逆に、自分が日本人であると、改めて体感したことがない方は、あまり、ピンとこないかもしれません。（感覚的なコメントですみませんが...）今から100年以上も前に、これだけ幅広い見識を持っていた日本人はそういなかったでしょう。文句なしに読む価値のある本です。最近、就活で経営者の話を聞く機会が度々ありますが、福沢諭吉の影響を受けている方が多いように思います。 福沢諭吉が生きていた頃は明治維新のまっただ中で、欧米に追いつこうとするために身分に関係なく学問を重視してこの国を強くしようとした時代です。福沢諭吉の父が漢学者で学があったにもかかわらず重用されなかったことのコンプレックスの反映が見られます。明治維新のおかげで地方は江戸時代よりも貧しくなりました。また学問を一生懸命しても、生まれつきの能力には差があります。身分による差は無くなっても、富による差が大きくなり、欧米ですでに起こっていた階級闘争にまだ福沢諭吉は気づかなかったようですし、立派な人とは学問ができる人ではないです。国のために命を賭けろといっているところを見ると国民よりも国家を重視しているのが見えます。（蜂や蟻の世界のように）
 また強い者だけが残り弱い者を切り捨てていくことで、国家が発展すればいいと考えるなら良い著書です。一万円札になったのも政府の考えに合っているからでしょう。
個人主義の鼓吹や、基本的人権の尊重、法の下の平等、公共の福祉に反しない限りでの個人の自由の尊重など、当時まだ大日本帝国憲法が発布されるかされないかという時期において、既に日本国憲法の精神を先取りしてしまっている福沢諭吉の知性と教養には感嘆せざるを得ません。また、文体も簡潔明瞭、平明達意。一般人には到底理解することのできない多くの啓蒙書が発行されていた当時において、庶民への配慮に最大限心がけ、彼らを巻き込みながら日本の近代化を果たそうとする彼のスタンスにも素直に好感を覚えました。現代人の我々にとっても学ぶべきもの多き名著だと思います。
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<item rdf:about="http://24bookshop.bestbook-shop.com/detail/06/4877951008.html">
<title>世界に誇る日本の道徳力―心に響く二宮尊徳90の名言</title>
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<dc:date>2008-12-02T02:41:41+09:00</dc:date>
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<description>  二宮金次郎を見直して、金次郎に学ぼう！尊徳に学ぼう！
 今こそ、世界に誇れる日本の民主主義の祖である尊徳の実践哲学、
 その残された名言をあらためて見つめ味わおう！

 キーワードは報徳、心田開...</description>
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  二宮金次郎を見直して、金次郎に学ぼう！尊徳に学ぼう！
 今こそ、世界に誇れる日本の民主主義の祖である尊徳の実践哲学、
 その残された名言をあらためて見つめ味わおう！

 キーワードは報徳、心田開発、至誠、分度、推譲、勤労、積小為大、
 一円融合。

 これらのキーワードの意味を知るだけでも実践哲学が身につくのではないか？

  結論はこれだと思う。
  ：天地自然の経文から学べ！
   不書の経、すなわち「もの言わずして四時めぐり、百物なる」ところ
   の経文に引き当ててみて、まちがいのないものを採り、まちがってい
   るものは採らない。 

 尊徳さんを、真に知り、その偉大さは本物で、素晴らしいと解った。 
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<title>学問のすすめ (まんがで読破)</title>
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<description>前半部分は「幕末の歴史（但し、福沢諭吉の視点で）」、後半部分は「道徳的説教」となっています。
学生さんが読むのに適した内容でしょうが、既にわかりきった事をとうとうと教えられている感じがして、少々退屈...</description>
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前半部分は「幕末の歴史（但し、福沢諭吉の視点で）」、後半部分は「道徳的説教」となっています。
学生さんが読むのに適した内容でしょうが、既にわかりきった事をとうとうと教えられている感じがして、少々退屈な部分もありましたね。
あと気になるのが作画について。このシリーズは癖のある絵が多くて、好感が持てません。今の所、『蟹工船』が及第点といったところでしょうか。と言った方が正しい気がする。学問のススメの概略が福沢諭吉の本人の
解説という形で作品の最後に記されている。

むしろ、この本のメインは、一下級市民の息子諭吉少年の成長物語である。日本を近代化へと導いていく教育家、思想家が生み出される過程を分かりやすく、シンプルな絵で描かれているので誰にでも読める漫画でしょう。

昔、学校の図書館で読んだ偉人漫画を簡潔にしたイメージです。
ページ数も多くないので普段本を読まない子供にも勧められるのが◎ この文庫本を本屋で見、買わなかったら？
 福沢諭吉という人物、そして彼が書いたベストセラー『学問のすすめ』を 知らないでいたかもしれない。
 今の時代において 見失っているなにものかを短時間に知ることができる。
 まんがの威力はすごい。壱万円札から登場する福沢諭吉。面白い。
 明治維新、その後の時代を 引っ張っていった男、福沢諭吉のお話しが とにかくわかる。
 神は時代に生きる人を選ぶ。選民としての福沢諭吉。
 彼の 主張も入門編として納得すれば よくぞわかりやすく伝えてくれたと感謝。
 ここから、福沢諭吉とその時代、その後の時代をかんがえるチャンスを与えられたのだ。
 出版元 イースト・プレスの試みは成功するのだろうか。これも楽しみ。１４８ページ〜186ページ までは「学問のすすめ」のことが書かれています。
約４０ページです。
１４７ページまでは、生い立ちから始まり、蘭学を始めたことや江戸になぜ出てきたのかが書かれています。
正直に言うと、学問のすすめのページはいわゆる自己啓発系の内容で「勉強しましょう」「体を鍛えましょう」といった内容です。
おじいちゃんの話を聞いている感じがしました。
それよりも１４７ページまでの方が、断然おもしろく、愉快に読め、理解もしやすかったです。
お札になっている人のことがよく分かりました。原書の「学問のススメ」を読んでたもので、絵付き（漫画版）のこっちはどんなもんかと思い購入。独立自尊という項目にしぼってわかりやすく書いてありました。ついでに諭吉の略歴も知れてお得でした。「学問のススメ」を書いたスゴい人（後、一万円の人）だとは知っていましたが、具体的に何をしてきた人かは全然知りませんでしたので。「学問のススメ」にいたる諭吉の生きていく知恵や反骨精神を知れた一冊でした。生きることは学びつづけること。日々向上心を持って生きなきゃなと思いました。それにしても幕末の動乱の中、諭吉は随分とPOPに一生懸命生きていたんだなぁと感心しました。
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<item rdf:about="http://24bookshop.bestbook-shop.com/detail/08/408720412X.html">
<title>偶然のチカラ (集英社新書 412C) (集英社新書 412C)</title>
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<description>と、レッスン２のタイトルになっていましたが、ほかに
「自分の身に起こったことはすべて必然と考える」
「思いは全部どこかでつながっている」などの
人生教訓のことばを、エピソード満載に解説してあます。
...</description>
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<![CDATA[
と、レッスン２のタイトルになっていましたが、ほかに
「自分の身に起こったことはすべて必然と考える」
「思いは全部どこかでつながっている」などの
人生教訓のことばを、エピソード満載に解説してあます。

「勝ったつもりでいても、いつのまにかとんでもない悲惨な状況に
陥ってしまうことだってあるし、負けたはずが、いつのまにか
すべてが好転して、自分でも想像がつかない恵まれた状況に
なっていることだってある。」
まさにそうだなあ、と日ごろは流していることも、ふむふむと
考えたくなることが示されています。
ああ、わたしの考えたかで正しいのだなあ、と思えると安心したり、
気付いていなかったことにはっとしたり。。ココロの学習が
できる新書ってありがたいですね。



「いざ頼りになるのは、先天的に与えられたものではなく、自分の力だけで獲得されたものだけだ」
「相手の仕事が順調なときに恋に落ちたとすると、もし相手の仕事がうまくいかなくなったときには、その落差の分だけ二人の関係を立て直すのがむずかしくなる」
この箇所に共感しました。
内容のすい新書もありますが、この本は著者の頑張りが伝わります。本書を読んでいると以下の台詞を思い出しました。
「この世には、不思議なことなど何もないのだよ」

世の中で起きることはすべて関係性のネットワーク("縁起")にあり、それと
自己が関わることで「幸運」「普通」はたまた「不運」と出会う、と。

ネットワークはヒトには理解できないところにあるので、結果として起こる
現象が「偶然」と認識しているだけ。理解できないので、関わり方はずばり、
「自分で選択しない」こと。一旦選んでしまうと、それにとらわれて自由な
判断ができなくなることが論拠ですが、流れに身を任せるのは、なかなか
勇気が要りますね。


また、「ネットワークはヒトには理解できないところにある」ことについて
説明する際に引用していたベイトソン『精神と自然』がとても印象に残った。
改めて、引用したい。
─（以下引用）
 鎖を引っ張ると、一番弱いつなぎ目から切れる。そのことは確実である。
 しかし、どのつなぎ目が弱いかを、鎖が切れる前に知ることは困難である。
─（以上引用） 「努力さえすれば、夢は叶う」的な考えが流行って久しい。私も、ずっとそう信じてきた。しかし、本当にそうだろうか? 私がそう信じてきたのは、そのほうが得だったからにすぎないのではないか? 思えば、願い努力したことのすべてが叶ったわけではない。この本を読んでわかったことは、自分の容姿や才能、自分が生まれた時代や環境など、自分が生まれる前にすでに決まっていたことは、努力してもどうにもならないということ。人生には、自分ではどうにもならない要素がたくさんあるということである。そして、その事実を受け入れたうえで、生きていくことや努力することが、有意義な人生を送るコツではないかと考えている。このことをわきまえておかないと、決して得られないものを得ようとジタバタした挙句、不幸になると思う。努力するなと言っているのではなく、自分の努力で得られるものと得られないものを知ることが大切だということだ。私はこの本から、そのことを学んだのです。わたしを含め、現代の日本人はメンタルが弱すぎると思うが、本書は語弊を恐れず言えば、掲題の通りそういった弱い人が新興宗教に走る前に読んでいただきたい。

なぜならその方が、時間的にも金銭的にもきわめて経済的と考えられるからだ。
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<item rdf:about="http://24bookshop.bestbook-shop.com/detail/09/4003021215.html">
<title>折たく柴の記 (岩波文庫)</title>
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<item rdf:about="http://24bookshop.bestbook-shop.com/detail/10/4059020133.html">
<title>古事記 (学研M文庫)</title>
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<description> 実家が宮崎にあるので『古事記』を選びましたが、よく理解できてよいかもしれません。

 『古事記』の歴史的評価はさておき、単純に物語として楽しめる一冊だと思いました。
梅原猛氏による「古事記」の現代...</description>
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 実家が宮崎にあるので『古事記』を選びましたが、よく理解できてよいかもしれません。

 『古事記』の歴史的評価はさておき、単純に物語として楽しめる一冊だと思いました。
梅原猛氏による「古事記」の現代語訳です。本居宣長でも「分からない」とした処は、本邦初アイヌ語を参照して解決の意欲作。単純に小説として面白いし、自国の神話を知って於くにも好い。古代史として読むなら訳者による解説がシャープな手掛かりを与えてくれます。
様々な現代語訳を読んできましたが、ここが到達点かもしれないと思えます。
国語学系のものは原典の用語用法に忠実であるあまり（語注にこだわりすぎ）、理解を助けるに不親切で、結局は別の解釈本が必要となります。
国文学系のものは、物語性や文学性（和歌など）に重点を置くために、状況のディテールなどに緻密さが欠け、あらためて原典にあたらなければなりません。
歴史学系は、訳者の思想性が強すぎて、意訳に近くなっています（とくに左翼系）。
文学系は（小説家や詩人）、まあほとんど創作ですね。
──ということで、本書はこれまでの欠陥を補っているとともに、解釈の集大成ともなっています。他の訳書に寄り道せずに（時間の無駄ですから）、最初から本書を手に取ることをお薦めします。子供の頃、絵本で「天の岩戸」、「ヤマタノオロチ」、「因幡の白兎」
などを読んで以来、何度も岩波文庫の古事記を読もうと挑戦し、その
たびに日本人でありながら日本語が理解できないというトラウマとジ
レンマに陥り、そのたびに疲れて断念しておりました。
今回、梅原猛先生の訳でやっと読むことができました。
これを契機に、他の訳や日本書紀なども読んでみたいと思います。
文庫ででているのが、尚、嬉しかったです。

 天武天皇は、稗田阿礼（ひえだのあれ）に神代から推古天皇までの多くの神話・伝記・歌謡などを語らせた。
それを元明天皇の時代に太安万侶（おおのやすまろ）がまとめたのが‘古事記’だ。日本最古の書物として有名。

 なぜわざわざ編纂されたのかというと、政治的背景があるらしい。
元明天皇が女だったから、らしい。天智天皇の皇女だった元明天皇は、即位する前、草壁皇子の妃だった。
 ところが、草壁皇子は即位前に死に、元明天皇との間に生まれた文武天皇も即位後、早死にしてしまう。
 残された文武天皇の息子（聖徳太子のこと）は、まだ子供。
そこで、祖母の元明天皇が代わりに測位した。

 こういった理由で、アマテラスから孫のニニギへと、天上界から地上界への統治権が授けられたことを物語る「古事記」が編纂された。
元明天皇から聖武天皇への譲位を正当化するためのものだったらしい。

 ウンチクめいていてすまない。好きなので・・・古典は。
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<item rdf:about="http://24bookshop.bestbook-shop.com/detail/11/4003332326.html">
<title>新編 東洋的な見方 (岩波文庫)</title>
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<description>ワイド版は良いです。同じ内容でも活字が大きくなり余白が大きくなっただけで、わかりやすくなったような気がします。鈴木大拙のこの本を読むと根本的なものに触れたような気がします。学生時代、鈴木大拙に初めて...</description>
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ワイド版は良いです。同じ内容でも活字が大きくなり余白が大きくなっただけで、わかりやすくなったような気がします。鈴木大拙のこの本を読むと根本的なものに触れたような気がします。学生時代、鈴木大拙に初めて触れてから、すでに20年以上たつが、未だにすべてを理解することができない。ただ、彼の思考に触れるたびに、仮に同じ書物を読み返す場合であっても、自分の思考が確実に深まることを実感できる。経営の現場にいて、特に米国生まれの概念や手法に触れるたびに覚える違和感の源泉を解明する鍵がここにある。彼の書籍との付き合いは、一生続くと思う。日本人として誇るべき偉大なる先達の労作である。 日本よりも海外でその名を知られる、禅のスポークスマンのような感のある、鈴木大拙による小論集。控えめではあるが、その批評の切っ先は鋭く的確で、人の本性を暴き、禅との関わりの中で、世界、日本、人間存在、日本人について論評している。 ときに、禅を過大に評価し、日本人を卑下するような言葉も見受けられるが、太平洋戦争を現実体験した人間に許される特権として、許容される程度のものであるから、著者の批評を損なうものでは全く無い。東洋的思想と鈴木大拙が呼ぶ所のものが、エッセーで綴られている。なんとなく普段感じている東洋的なものの実体が解かるだけではなく、西洋文化における東洋的な要素も折にふれて述べられており、著者の深い洞察力と単なる哲学的思索を超えた論の展開がじつに面白く、現代社会にいきる日本人ならばぜひ読んでおきたい書と感じました。
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<item rdf:about="http://24bookshop.bestbook-shop.com/detail/12/4043083203.html">
<title>遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)</title>
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<description> 日本民俗学の古典として余りにも有名な作品である。文語で書かれた箇所は、今となっては読者を選んでしまうが、文句なしの名文であり、本書は優れた文学作品だとも言える。本書は、遠野の地で語り継がれてきた伝...</description>
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 日本民俗学の古典として余りにも有名な作品である。文語で書かれた箇所は、今となっては読者を選んでしまうが、文句なしの名文であり、本書は優れた文学作品だとも言える。本書は、遠野の地で語り継がれてきた伝説を採集したもので、日本民俗学の端緒と言ってよい。中身自体は、単なる昔話の羅列であり、余りにも素朴で、やや退屈ですらあるが、かつての遠野の風俗や言語を巧みに伝えており、興味深い。私は本書の舞台の一つである早池峰山に登ったことがあるが、本書を読んでからこの地を訪れると、また違った風景が見えてくるに違いない。 遠野物語と遠野物語拾遺を合わせて２９９話の短編集、一話平均約４００字。
 遠野物語は、民間信仰、栄枯盛衰、山中での出来事、妖怪、動物、行事、昔話など素朴な話が集められている。みな懐かしい感じがし、お伽やグリム童話といった説話のような説教じみた堅苦しさはない。話からは間接的に当時の人々の考え方や習俗、道徳観が伝わってくる。古今の文化の変化を考えると興味深い。民俗学の重要な史料となっている事も頷ける。
 拾遺は題名のごとく残りの雑多なものという感じである。たとえば、当時（明治から昭和初期）の流説も混じっているようである。今で言う「口裂け女」「ターボじじい・ジャンピングばばあ」「こっくりさん」のようなもの。これはこれで当時の風俗を垣間見たようで面白い。あるいは、「先祖伝来の、開けると目がつぶれる箱、なるものを今の代の主人がどうしても見たくて開けたら、布が入っていただけだった。」という話では、近代化に伴い、未知に対する畏怖の消失が現れている様で興味深い。
  1909年（明治42年）から1910年にかけて、当時30代半ばの柳田国男氏が、奥州は遠野の人・佐々木鏡石氏（当時24〜25歳）から聞いた土地の人たちの話を採集、筆記した民間伝承譚「遠野物語」。全部で119の短い言い伝えの背後に、深い山や黒い森の景色が見えるような気がした。谷川の清流のさらさらいう音や、凄い風のごおーっと唸る音が聞こえてくる気がした。
神隠しに遭った女の話や山奥の不思議な家「マヨヒガ」の話などあるなかで、格別印象に残ったのは次のふたつの話。
 嫁と姑との仲が悪い家で気が変になった男の話（第11番）。「ガガはとても生かしてはおかれぬ、今日はきつと殺すべし」と言って、草刈り鎌をごしごしと磨ぎ始めるあたりからの成り行きにぞくぞくさせられた。
 もうひとつは、第95番目に置かれた不思議な「石」の話。形の面い岩などを持って帰るのを趣味にしている庭作りの得意な男（43〜44歳）が、山で遊んでいるうちに美しい大岩を見つけたところが････。
 ほかにも、津波で死んだ妻に遭った男の話や、ヤマハハが娘を喰らいて皮を剥ぎ、その皮をかぶって娘になりすます話などなど、昔話のエッセンスともいうべき怪異譚やら奇譚やらがいっぱい。 あの「共同幻想論」のヒントとなった名著である。 内容は、遠野出身の人物からの聞き書きである。著者による直接取材でないところに民俗学の開拓者としての柳田の限界があるとは言えるが、方法論に対する批判は批判として、ここに収録された伝承群は遠野という「陸の孤島」に封入された特異なものとしての資料的価値以外にも、文学としての独立した価値を十分持っている。 吉本のように、ここから何を引き出せるかを考えるのもよし、古きよき日本の民俗に思いを馳せるのもあり、いろいろな読み方があるだろう。 伝説は日本のどこにもあったはずである。何故、遠野が選ばれたのか。 岩手の奥の方は、今でも、違う時代を封入している感がある。明治であれば、江戸時代以前の名残があったであろう。それだけに、伝説が真実味を持って迫って来たことは想像に難くない。 当時の人の天衣無縫な発想を、柳田國男の簡潔にして鮮やかな筆致が伝えてくれる。 私は岩手の出身であるが、ひいき目ではないと思う。   拾遺の中に、三光楼という遊郭に通った男の屋号が三光楼になった、という話がある。普通では考えられないことである。しかし、遠野市出身のあでやかなる女性、三光楼さんは私の憧れの人であった。遠野にも、この珍しい苗字の家は2、3軒しかないということであったが、実在するのである。三光楼さんが言った。「六角牛山に3回雪が降ると遠野の町にも雪が降る」と。通し番号299話までのこの本の、第300話として書き込まれている。     
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<item rdf:about="http://24bookshop.bestbook-shop.com/detail/13/4003312414.html">
<title>善の研究 (岩波文庫)</title>
<link>http://24bookshop.bestbook-shop.com/detail/13/4003312414.html</link>
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<description> 端的に私が『善の研究』の西田に感じる問題点を列挙る。

１．宇宙をこの宇宙に限っていること
２．実在概念に物理学が相対化しきれていないこと
３．動物と人間との関係を軽視していること
４．人格の不完...</description>
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 端的に私が『善の研究』の西田に感じる問題点を列挙る。

１．宇宙をこの宇宙に限っていること
２．実在概念に物理学が相対化しきれていないこと
３．動物と人間との関係を軽視していること
４．人格の不完全性が解明されていないこと
５．対となるべき悪の研究が為されていないこと
６．意識に直接作用する存在は何であるかが言明されていないこと
７．歴史的宗教への言及が不十分であること

 量子力学もハッブルの法則も西田の生きた前世紀前半には既に既定の事実として理論化されていたから、宇宙をこの銀河系、太陽系、地球の属するこの宇宙に限っていることは、他方で物理的実在に言及する以上、ちょっと理解が浅すぎるのではないか、と思われる。
 全編に貫かれる意識主義によって、西田哲学の主眼は人間の意識主義に限定され、ともすれば動物蔑視の文言が散見されもし、人間が動物から進化したものである歴史を踏まえていない上で、また、現世を動植物と共有している世界を飛び越して、即宇宙と人間が繋がるという論理にもどこかに飛躍した欠陥があるだろう。
 それもこれも、出版社の要請に応じた講義録の寄せ集めによって成った本書の性格からすれば仕様がないことなのかもしれない。難しいといわれる第一編の「純粋経験」は、なんとしても読破すべき。尤も、分析的に考えると、叙述形式から却って難解に思えるが、流れる文体にそってその通り読み進めれば、相応に納得する。学説的な知識からいくと、ジェイムズとヘーゲルのアイデアのまま、のようなところで、オリジナリティは、高くないが、自身のものとして自身の言葉で展開しているところが最大の魅力。二篇の「実在」は余り面白みがなく、第三篇「善」が、本書のテーマで中枢となる。自己の実現、自己の望みを達成して調和を得るところに、最高善をみるところは、人間の欲望を肯定的に捉えたヘーゲルの倫理学と同じだ。実世界の人間的な欲望を無闇に抑制するような道徳論は批判の対象となっている。また、個の実現が、それが本物なら、社会（国家）全体に寄与するというところへ展開るところも、いかにも「近代」思想で、ヘーゲルの「法哲学」を思わせる。が、ヘーゲルにおいて赤裸々に暴かれ対決された「疎外」の問題、近代社会の貧困や、自己実現を目指すが故に直面する自己の没落、という「近代社会のパラドックス」は、全く視野の外に置かれている。その代わり、自己実現の挫折へは言及があり、そこから宗教的な解決に進む件は、ヘーゲルの「精神現象学」を匂わせるし、一層、「個」への執着を示す。でも、ヘーゲルにあった差し迫った他者との対決も、格闘する意識も、ここにはない。近代的二元論の超克がテーマでありながら、その問題が、実社会でどのように表出しているか、それを捉えての対決はない。それでも、思考の徹底性、包括性、文章、どれをとっても第一級品だと思う。でも、同時代の漱石や鴎外、少し後の志賀直哉や昭和初期の小説家たちは、表現は異なっても、｢近代」の問題をもっと真正面から捉えていたように思える。そういう意味では、日本では哲学者はこの点に関する感度は今ひとつの感が否めないと思う。 明治44年発行の書物である。西暦では1911年にあたる。この年はキューリー夫人がノーベル賞をとっている。 普通選挙法がようやく施行され、幸徳秋水が刑死した年でもある。1905年までさかのぼると、アルベルト・アインシュタインが特殊相対性理論を発表している一方で、夏目漱石が、処女作「吾輩は猫である」の連載を開始している。現代を支える物理や文学の萌芽の時代である。
  よく読みこなせば疑いもなく、ほぼ1960年代頃に流行ったニューエイジ系オカルトに親近性があり、かつその先を行っている。ベルグソンやハイデッカーに通じる「意識の哲学」である。これは潜在無意識にある高位自我、「ハイヤーセルフ」などの超越的自己について言及し、禅を通じて「他人の意識」を「自己の意識」として感じ取り、「人のよくせざるところ人に施すことなかれ」という「善性」の根幹を、直接経験として感じる行為的直観の作用をベースにして、そこから倫理への影響を前面に出しているものなのである。「絶対矛盾的自己同一」とはつまるところ、「他人」と「自己」は意識を別にして、かつ別々に思考する独立無二の絶対に同一ではない単体同士であるが、潜在意識は繋がっていて「自己同一」する場合が「禅」において見られた経験（彼の体験）を述べたものである。
 西洋哲学一般が「仮説」を設定して考究する演繹的思考が随所に見られるのに比べて、日本人的思考の癖で、仮説設定はとらず帰納法的で結論が見えにくくなっているので遠まわしに見える。
 意識の世界から「善」を考える哲学というよりも、普遍無意識の世界から「善」を考える哲学としてはユングに近く、そうした覚醒的な経験の結果を言語として取り出し、定義しようとするところでジェームスに近い。そして宇宙を語るところでは、やはり東洋であり根幹は仏教なのである。純粋経験とは、物事への偏見なき接近への道であり、頭で考えられた概念ではなく、知覚そのものの世界である。真に知覚された世界とは仮初の世界ではなく、世界そのものである。経験できる世界よりほかには、世界などありはしない。まことに世界を知覚できれば、自ずからそれを言葉にすることもできるはずである。なぜなら、言葉とは世界そのものだからである。

 「場所」や「論理と生命」のような後の輝かしい論文と比べると、どうしても見劣りはする。だが、日本の哲学の出発点となった記念碑的著作であることにはかわりがない。確かに稚拙だが、この処女作にはその後の西田哲学が含まれているのも確かである。と同時に、この作品だけでは西田幾多郎は哲学史の中に刻まれることもなかっただろう。その程度のレベルとはいえ、哲学の考え方に慣れていないと読みにくいのも確か。残念ながら、平気でデカルト批判とかしているミーハーな読者は近づかないほうがよい。とはいえ、真摯な読者でもなかなか入り込めるものではない。できれば、京都学派の他の著作とか、同時代の生の哲学（Ｗ.ジェイムスやベルクソン）とか、いろいろと読んでおくとよいのかもしれない。ちなみにこの著作の他で、読むのをおすすめできる論文は「論理と生命」である。比較的に用語の使い方が怪しくなく、素直に生命と環境の相互作用論として読めるところがよい。とはいえ、「善の研究」が西田幾多郎の哲学書の中では文章が読みやすいほうなのも事実である。西田幾多郎の代表作『善の研究』。一般的には、西田哲学は、その言い回しといい、独特の概念といい、難解な世界だといわれていた。中には「ただ抽象論をもてあそぶにすぎない」とまで酷評する声も聞くが、果たしてそうであろうか？難解な熟語（概念）の中身には触れないが、この本は、人は何故生まれ、何故生きるのか、否、生きていかねばならないのか、それを深く深く掘り下げた世界であると思う。１８歳の頃はとても読めなかったこの本。５４歳の今、なぜか西田の言わんとすることが、おぼろげながらわかるのは何故だろう。そこで一つだけ、西田の言葉を紹介しておこう。西田の『神』は次ぎのようなものである。西田の『神』は、毎日毎日刻々と生きる日常生活に中にこそ実在するのである。西田は具体的な生身の人間を哲学的体系的に捉えていると思う。『神は実在統一の根本という如き冷静なる哲学上の存在であって、我々の暖き情意の活動となんら関係もないように感ぜられるるかも知らぬが、その実は決してそうではない。さきにいったように、我々の欲望は大いなる統一を求むより起こるので、この統一が達せられた時が喜悦である。いわゆる個人の自愛というのも畢竟此の如き統一的要求にすぎないのである。しかるに元来無限なる我々の精神は決して個人的自己の統一を以て満足するののではない。更に進んで一層大いなる統一を求めねばならぬ。我々の大いなる自己は他人と自己とを包含したものであるから、他人に同情を表わし他と自己との一致統一を求むようになる。我々の他愛とはかくの如くして起こってくる超個人的の要求である。故に我々は他愛において、自愛におけるよりも一層大なる平安と喜悦とを感ずるのである。而して宇宙の統一なる神は実にかかる統一的活動の根本である。我々の愛の根本、喜びの根本である。神は無限の愛、無限の喜悦、平安である』
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<title>「いき」の構造 他二篇 (岩波文庫)</title>
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<description>「粋」とはいったい何であるか、というのを、ロジカルに究明しています。 その内容がどんなものなのか、というより、物事の考察の進め方において、非常に勉強になる本だと思いました。


１．まず本質を抜き取...</description>
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「粋」とはいったい何であるか、というのを、ロジカルに究明しています。 その内容がどんなものなのか、というより、物事の考察の進め方において、非常に勉強になる本だと思いました。


１．まず本質を抜き取る

「粋だね」、というときに思い浮かぶのは、たとえばお祭りでの威勢のいい声だったり、凛とした正座姿だったり、地味な表地に派手な裏地だったりといろいろとがあります。 しかし、こういう現象を見つめるだけでは、一向に「いき」の意味にたどり着くことができません。 特に、「いき」のように、非常に広い範囲で使われ続けている言葉に対しては。


物事の意味を考えるときには、個別具体的な事象から、まず本質を抜き取る必要があります。
その本質の抜き取り方として著者が行っているのは、以下の２点です。
１）まず、ベースとなる概念をもってくる（宝石で言うと原石を持ってくる）
２）その概念を、他の視点をフィルターにして狭める。（宝石を削って宝石にする）

著者は、１）において、「いき」のベースとなるのはセックスアピール（媚態）とし、２）次いで、「意気地」と「諦め（運命に対してきっぱりとした姿）」によってフィルターをかけて、「いき」という言葉の意味を汲み取っています。 

フィルターは、当然ながら、ベースとなる概念に関連したものでないといけません。著者が「意気地」と「諦め」をフィルターとして用いた理由は、セックスアピールというのは、不確実な運命の下でこそ存在しうるものだからです（たとえばすでに男女関係ががっちり固まっていて動かす余地がないのなら、セックスアピールの存在はあまりない）。 不確実性を耐え抜くために意気地が必要だし、時には運命に対して諦め（Let it be的な心境）る心構えも必要になるでしょう。


２．座標軸に配置する

そして、次に、他の概念との位置関係を把握します。
渋み・野暮、意地・甘味、上品・下品、地味・派手を座標軸として、著者は「いき」の外延的構造をより明確にしようとします。 

この座標軸を設定するにおいても、当然ながら、「いき」そのものへの理解が必要です。 そうやって、「いき」に関連する概念たちとの比較により、概念の意味はより明確化されていくことでしょう。



３．現場を見る

そして、ここまでした後に、初めて、「いき」にあふれている現場について考えを巡らせるわけです。 すると、服装や声の出し方、美術など、すべての日本的なものに含められている「いき」という概念が、雑多な寄せ集めとしてでなく、一つの正しいロジックにしたがったものなのであることに気づくことになります。


知的作業をするときの教科書みたいな考え方の本でした。本書を斜め読みして、「男はつらいよ｣の寅さんを連想した。
マドンナにすぐ恋をして、江戸っ子のかっこよさにこだわり、すぐに恋をあきらめてしまう。媚態と意気と諦めの「いき｣そのものといっていいかも。茶色の背広（縦縞ではないが)と青色のダボシャツも「いき｣な色だ。
日本人の心に「いき｣への憧れは根付いていることにあらためて気づいた。

「いき」のキーワードは「媚態」「意気地」「諦め」の３つ。 
異性に対しての「媚態」を基調とし、
武士道の理想主義の表れである「意気地」、
仏教の非現実性としての「諦め」を内包したものが、
「いき」という概念であり、日本人特有の意識現象である。 
著者の「いき」に対する考察力に気迫すら感じたこの本。
「いき」の要素を六面体にして表したところなど、
発想の仕方がすごい！ 
ここまで踏み込んでものごとを考えられる著者の勇敢さ、
鋭さに驚いた。ぜひ参考にしたい。 
 
面白いです。最初のページを読み出した瞬間から九鬼氏の言葉が驚くほどするすると脳に入っていく、こういう快感を最後に味わったのはいつだろうか？うーんちょっと興味は有るけど、なんかむずかしそー。と思ってるそこの貴方。これは本当に名作です。是非、是非、読んでください。 最近、ホームページで『「いき」の構造』を『菊と刀』の視点から分析した人が居ます。それを読んでハッとしたのですが、『「いき」の構造』の最大の特色は方法論にあるのです。多くの研究者は「いき」という言葉にこだわってその言葉が現われる場面に注目しますが、九鬼はその言葉が生まれてくる社会の集合的無意識に注目したのです。これは、今でも社会系の学者にさえあまり知られていない方法ですが、すでに七十数年前にこういう方法を駆使して日本独特の概念を分析した人があったとは、驚くべきことでもあり、同胞として誇りを感じることでもあります。
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<title>学問のすすめ (PHP文庫)</title>
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<title>学問のすゝめ―人は、学び続けなければならない</title>
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<description>原文は当時としては簡単な読みやすい方に属する書物らしいのだが、現代人にはちょっと敷居が高い。したがって、現代語訳は大助かりである。これなら、すごく読みやすい。考えてみれば当然だが、慶応出身の教授によ...</description>
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原文は当時としては簡単な読みやすい方に属する書物らしいのだが、現代人にはちょっと敷居が高い。したがって、現代語訳は大助かりである。これなら、すごく読みやすい。考えてみれば当然だが、慶応出身の教授による現代語訳である。

しかし、けっこう強烈な内容の本だ。明治維新を駆け抜けた俊才の迫力が伝わってくる。はっきりいって、「ドラゴン桜」の桜木より凄い。超アグレッシブで、硬派で、快活で、そしてシンプルに、時代を超えて読者の向上心とハングリー精神をあおっている。すっかりものわかりがよくなっ今の大人たちにはなかなか見られないエネルギーが伝わってくる。

骨子はシンプルだ。人間は元々皆同じように何も知らずに生まれてくるのであって、その後にちゃんと勉強するかどうかで差がつくのだ、だから勉強しなさい。そして、どうせ勉強するなら、和歌とかよりも、物理や経済や工学などの役に立つ学問、「実学」の勉強に力を注ぎなさい、という。何より、なぜ勉強しなければいけないかを、幅広い視点から、素人にもわかりやすく説いている。そう、この「なぜ勉強しなければいけないのか」について、広い視野で、説得力ある言葉で語れる人が、現代の教育の現場には少ないのだ。

一見すっかり豊かになってしまった現代の日本。しかし、相変わらずこの国には資源もなければ、国土も狭く、食料自給率は４０％そこそこで、国の借金は膨らむばかり、そこへ元気な中国など昨日まで貧しかった国々の激しい追い上げが加わり、さらに少子高齢化が追い打ちをかけている。一方、明治時代の日本は、実は石炭と食糧くらいはちゃんと自給できていたし、教育に多額の国費を投じていて、若い人がたくさんいた。実は、今の日本人はより強い危機感を持っていてもおかしくはないような状況にあるのだ。

本書を読むと、昔の気骨ある日本人の活力の一旦に触れて気持ちが引き締まる思いがする。なぜ学ぶのか、なぜ学ばなければならないのか。この普遍のテーマに時代を越えて直球勝負で語りかけてくる。お勧めである。 生まれたからには必ず読まなければいけない書物として藤原正彦さんの著書にあったので、「そうだよなぁ。これ読んでないと恥ずかしいよなぁ。」と５０を越えた今になって読みました。岩波の明治古文版を購入しましたが、無理でした。意味が判らんとでしたわ（＾＾；。恥を忍んで改めて本書の現代語版を購入、内容を云々語っても己の無知を開示するだけのことですが、「天は人の上に〜」の意味が今になって始めて判りました。人間平等が主旨ではなかったんですねぇ、誤解してました。それが判っただけでも有り難かったです。恥を掻かずに死ねるというもんですわ。我が家の躾の大方針は、
 
 いつも笑顔でいられる人間になる
 
ってことです。
ぼくも妻も率先して笑っています。
 
笑うためには心に余裕がないといけません。
心に余裕を生むためには努力も欠かせません。
経済的にも精神的にも肉体的にも健康、健全じゃないと笑顔は生まれないと思っています。
逆に、常に笑顔を心がけていれば、経済的にも精神的にも肉体的にも健康、健全になっていくんだと思います。
 
100年以上前に福沢諭吉先生もこう言っています。
 
＃＃＃
顔色や容貌を、いきいきと明るく見せることは、人間としての基本的なモラルである。
なぜなら人の顔色は、家の門口のようなものだからである。
広く人と交際して、自由につき合うには、門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。
ところが、本心は人と交際を深めたいのに、顔色に意を用いず、ことさら渋い顔つきを示すのは、入り口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。
これではだれが近づくか。(檜谷昭彦訳『学問のすすめ』三笠書房?1300-、204p)
＃＃＃

人生山あり谷あり、晴れたり曇ったりです。
多少の嫌なこと大変なことはあるのが当然だし、嫌なこと大変なことを克服するから人間も磨かれる。
笑顔でいれば、多くの人が集まってきて協力もしてくれることでしょう。
困難を笑顔で乗り越えられるような、わが子達にはそんな人に育っていってほしいと願っています。旧い封建制度が終わり、我々は政府と同等の立場に立た
なくてはならない。そのためには学問が必要である。 

明治初期に書かれたとは思えないほど、福沢諭吉は民主
主義を深く理解している。政府を正しく管理するために
は民衆が学を身に付けなければならないという主張は、
民主主義における普遍的な原理だろう。 

国家のための学問をすすめる福沢の姿勢は、今日の価値
基準と必ずしも一致しない。現在では国家のために尽く
すというより、自分の人生の充実や、国家を超えた人類、
世界のためにという価値観も尊重されるからである。ま
た、私学・実学・洋学重視の態度も、学問の形態が広く
変わった今では、当てはまらない点が多い。 

しかし、福沢が放つメッセージの重要性は今日でも変わ
らない。人は物質的にも精神的にも独立しなくてはなら
ない。身分制度がなくなった今、自らの独立を助けるの
は、学問である、と。ご存知、明治に発刊され当時としては爆発的に読まれた名著です。
私自身、時間があれば読んでみたいという程度の認識でした。
古文に対する苦手意識で敷居が高かったのですが、現代語訳版の本書を見つけ
手に取った瞬間、その内容に惹きつけられました。
「天は人の上に・・」で有名な福沢諭吉ですが
「人に貴賤はないが、勉強したがしないかの差は大きい」
と、平等であるべきものとそうでないものとの違いを明確に説明されています。
闇雲に平等を主張していた理想化だと思い描いていた諭吉像が一気に崩壊しました。
非常に洞察力の深い、現実的な人だったのだと反省しきりです。。
本書はまた知識を与えるというスタンスではなく、読者に考えさせることを主眼においている
点にも非常な聡明さを感じとれます。
諭吉の魂が時を越えて迫ってくるものをビンビン感じとることができます。
時代を問わず読み継がれている理由が十分に納得できる良書です。
???明治の初版以来、多くの人々に読まれ続けてきたロングセラー『学問のすゝめ』。本書はその現代語訳版である。 ?「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名な一文に始まり、「『人の上に立つ人』の責任とはなにか」「法律の貴さを論じる」「人望は人間の大きさ・仕事の大きさに比例する」など、政治や法律の問題から個々人の意識に至るまで、あらゆる面に言及している。 ???本書がこれほどまでに長く人々に読まれ続けている理由は、その内容の普遍性にある。ここで述べられている内容の多くは、現在でもその輝きを失わず、読む者の胸に迫ってくるものである。たとえば十五編の「もし西洋と日本が逆だったら」の部分は、国際化時代に生きる現代の我々にも示唆を与えてくれるし、十四編の「人生の『損益』計算のしかた」は、いま生きているすべての人々が共通して意識すべき内容であると言える。 ???本書は現代語訳であるため、文語特有の趣を味わうには物足りない部分もある。だが、文語で読むのがおっくうでこれまで読まずにいた、という人にとっては、この貴重な書に触れる絶好のチャンスであると言えるだろう。文語体の趣を味わいたいという人には、岩波文庫の『学問のすゝめ』をおすすめしたい。（土井英司）
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<title>妖怪談義 (講談社学術文庫 135)</title>
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<description> 柳田国男が妖怪について書いた文章を集めたもの。初版の発行は昭和31年だが、書かれたのは明治42年〜昭和14年くらい。
 妖怪と幽霊の差、お化けの呼び名、河童、山人、一つ目、天狗などが取り上げられて...</description>
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 柳田国男が妖怪について書いた文章を集めたもの。初版の発行は昭和31年だが、書かれたのは明治42年〜昭和14年くらい。
 妖怪と幽霊の差、お化けの呼び名、河童、山人、一つ目、天狗などが取り上げられている。いずれも民俗学の視点から妖怪を分析したもので、焦点となっているのは妖怪を産み出すような人間の心性と、地域による偏差の問題である。なおかつ、研究途上で書かれたものが多いので、妖怪ファンの人には向かない一冊かも知れない。
 柳田の民俗学が組み立てられていく過程をのぞき込むこととができ、なかなか面白かった。日本の思想史に興味があって、素人の気安さで、ここ数年いろいろと拾い読みをしている。
柳田國男、宮本常一、網野善彦らに代表される民俗系の歴史学は、正史すなわち為政者が編纂した政治史からは読み取れない、信長でも秀吉でも家康でもない、何の変哲もない日常を生きたごく普通の昔の日本人を浮き彫りにする。

本書は書き下ろしではなく、明治の終わりから昭和初年ごろに書かれた、妖怪伝承に関する多数の短い論文を編んだものである。河童、座敷わらし、やまんば、天狗など代表的な日本の妖怪について全国から収拾した伝承を記録するというのが本書の基本的なスタンスである。日本中から蒐集した妖怪の名前リストというのもある。

したがって、天狗や河童がかつての日本人の精神世界の中でどういうポジションを占め、近年の都市化の中でどのようにリアリティを失っていったのか、という考察はほとんどない。この点が残念である。また、挿絵ひとつあるわけでなく、単なる妖怪好きという方にとっては、水木しげるの妖怪辞典のほうがよい。（といっても、いまネットでみると既に絶版、古本で6万円近くする。びっくり。）

日本人の精神史という観点でも、妖怪大好きという観点でも、いまひとつ欲しい情報が得られなかった。日本全国の妖怪話を集めて本格的な分析を加えたもの。
一つ一つの話そのものが面白いのだが、それに加えて著者の分析の見事さに
息を呑む事もしばしばで、知的な満足も得られる。

主軸を成している考えは、妖怪とは貶められた古い神々であるというもので、
本書の意義はそうした太古の宗教的な価値観をいささかなりと
蘇らせるところにあると言える。

僕が読んでいて最も楽しかったのは、「呼びかけに応じると背中にずしりと
黄金を背負わされる話」だ。日本全国になぜかこのバリエーションが山ほどあるらしい。
P101「小豆洗い」で『郷土研究』に書かれた他人の意見に対する氏の見解などもあるが、だったら、その文章を引用で示して欲しい。
柳田氏の意見だけではよく分からない。
又、
この本の文章の進み方は、起承転結ではなく、つれづれなるままに、という感じで
「結局何が言いたかったんだ？」
と、もう一度読み直してしまった項もあった。

しかし、
妖怪についての現実的な研究という点では、読むに値するすばらしい著書である。
古事記の神々を歴史に照らし合わせるように
妖怪だって現実の何かがそれを思わせたものだろう。
妖怪についてさらに深く考えさせられる書物であった。昭和３１年に出版されたものの文庫版。 
ザシキワラシ・小豆洗い・天狗等、タイトル通り妖怪についての考察である。 
書き出しのところで著者は、オバケ（化け物）と幽霊を混同する人が多いことを嘆いている。 
その違いは、 

・オバケは出現する場所がたいてい決まっており、避けてそこを通らなければ一生でくわさずに済ますこともできる。 
対して幽霊は、足が無いという説があるにの関わらず、てくてくと向こうからやってきて、狙われるとどれだけ逃げても追いかけてくる。そんなことはオバケにはまず無いらしい。 
・オバケは相手を選ばないが、幽霊は特定の人間だけに思い知らせようとする。 

この二点である。 

また、黄昏時はオバケに出会いやすいという。 
古い日本語では黄昏のことをカハタレといい、もしくはタソガレドキと言っていたのは、「彼は誰（カハタレ）」「誰ぞ彼（タゾカレ）」が固定した形らしい（誰かわからないような者に出会う時間帯ということか）。 
そのため黄昏に道を歩く人間が、互いに声を掛けるのは単なる礼儀ではなく、自分が化け物でないということを証明する儀式であったようである。 

各々の妖怪について触れてある箇所ももちろんおもしろい、というかそれがメイン。 
妖怪に興味がある方は是非どうぞ。
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<title>文明論之概略 (岩波文庫)</title>
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<description>福沢の文明の定義はギゾーの文明論を下敷きにして成立している。文明は相対的であるが、それは野蛮あるいは非文明に対するものとして文明を考える点で構造的であると子安はいう。野蛮や非文明がなければ、文明もな...</description>
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福沢の文明の定義はギゾーの文明論を下敷きにして成立している。文明は相対的であるが、それは野蛮あるいは非文明に対するものとして文明を考える点で構造的であると子安はいう。野蛮や非文明がなければ、文明もない。これがギゾーと共有する文明の定義である。また、家族は市民社会と対立し、家族は否定的前提として市民社会に対立する自然的結合体である。家族から国家へという人倫体の展開過程として捉えられる和辻倫理学とも違う。
文明は文明的な社会であり、国家である。それはつねに野蛮や未開、非文明と対置される文明である。ここで言われている非文明、反文明はなによりもまず東洋の文明である。西洋文明の成立は後進アジアとともにはじまる。だからその叙述も東洋をもってはじまる。その東洋とは、インドであり、中国であった。
読みやすく工夫されたようですが、読みにくかったです。たぶん、自分が慣れてないと思います。全体を通して、時代の変化を感じつつ、その中を抗うことなく、古くの文化を、再考し、新しい文化を筆者自身の感じたことを書かれており、その中で、決してぶれない目線は、読んだ人間を感銘させる。西洋文化が押し寄せ、制度を変えるとともに、その変化を、早急に文明の破棄と考えたりせず、世界の中で日本の確固たる自立した国になるべく変わったことと信じる。
時代の変化をうまく表現した作品である。まだ封建時代が終わったばかりの明治の始まりにおいてすでに、一般大衆による民主主義は人と違う意見を持つ人を許さない暴力であることを示唆している。「今日の奇説妄論も亦、かならず後年の通論常論なる可し」という。平成のマスコミが朝青龍や亀田一家など生意気な人たちを集団で虐めるのをみると、そのことを明治６年にすでに指摘する本書は現代人必読の最高の名著である。この本の内容については、他の素晴らしいレビューに譲りたい。ただ、自分の思う所を述べさせて頂く。この本は、内容もさることながら、福沢諭吉の生きざまが描かれている。福沢の深い教養がいかんなく発揮されているのだ。学者たる者の目指すべき姿の一つのが示されていると言ってよい。是非、大学生に読んでもらいたい。尚、読むのに困難を感じたら、丸山真男の『「文明論之概略」を読む』をお薦めしたい。福沢諭吉の最高峰の１つ。彼の眼力の鋭さは、日本の歴史を「支配者」の交代の歴史と捉えたこと。「人々」は未だ歴史の主役になっていないことを喝破したことである。福沢はこれを遺憾としている。彼は、「支配者」を批判的に見ていた思想家であり、日本の歴史が「支配者」から解放された時、文明は訪れると説いている。
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<title>ブッダの人と思想 (NHKブックス)</title>
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<description>仏教について詳しいわけもなく何気なくとった一冊ですが
原始仏教時代のブッダ像が非常に新鮮でした。ブッダの生涯と
思想がどういうものであったか簡明に知るには非常に良い本で
あると思います。紀元前5世紀...</description>
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仏教について詳しいわけもなく何気なくとった一冊ですが
原始仏教時代のブッダ像が非常に新鮮でした。ブッダの生涯と
思想がどういうものであったか簡明に知るには非常に良い本で
あると思います。紀元前5世紀にガンジス河中流域にまで進出したインド･アーリア人たちは土着のドラヴィタ人と混血しつつ、定住するようになりますが、ゴーダマ･ブッダはネパールとの国境の近くにいるシャカ人の王族の一員として生まれ、29歳で出家し、6年間の苦行の後にブッダとなり、80歳で入滅するまで、45年間の長きにわたり修行と弾道を続けた人なのです。
いうまでもなく、インドには4つのカーストがあり、バラモン（僧侶、思想指導的階級）、クシャトリア（貴族、武士階級）、ヴァイシャ（一般庶民）、シュードラ（隷民）にわかれています。また当時は「62見」といわれたブッダ以外の思想家が62人も活躍しており、ガイナ教のマハヴィーラや、唯物論、懐疑論など多士済々の考え方があったようです。
ブッダはダルマ（正理と法）の道を一筋に歩んできた人であって、これ以外に道の人、真実の人はいないのだと語っています。仏教の開祖という意識はなく、むしろひとりの修行者として歩んでいったのです。この「道の人」というのがブッダの真実の姿なのです。
 ブッダの教えを知る上での最良の書だと思う。
 単に言葉だけを集めたのではなく、その人生の足跡をたどりながら、多くの人に教えを説きながら進んでいくその過程とあわせて、ブッダの教えが展開される。

 いきなり、ブッダの言葉だけの本を読むと、インドと日本ではその社会の前提条が違うので、前提の共有がないゆえに、何を言っているのか理解しがたいところもあるが、足跡や当時のインドの話を交えながら、教えを説いてくれるので、とても理解しやすい。

 読んでいて、思ったのが、ブッダ自身は、理想のバラモンとしてのあり方を説いていることが分かる。ただ、そのバラモンとは、バラモン教のいうところの身分としてのバラモンではない。理想の人間のあり方を追求し、成し遂げたものをバラモンと言っているようである。

 私自身、恥ずかしながら誤解していたのが、一度解脱すればそれでいいものなんだと理解していたことだ。この書を読んで、ブッダは悟りを開いた後も、自らが清らかにある修行を続け、ブッダに対して悪魔が現れ、ブッダはその悪魔に打ち勝つための努力を続けたということでした。

 仏教というよりも、ブッダの教えを知りたいという人には、まずこれをおススメします。たとえば「空」のように、なんとなく分かっているような気がして、そうであっても、実ははっきり知っていませんという言葉なども分かりやすく丁寧に説明されています。これを読んだ上で、ブッダの言葉に関する本を読めば理解が進むと思います。紀元前5世紀頃インド、不特定な人間集団である都市型の人間関係へと大きな変化を遂げるなか、ブッタは生まれました。29歳で出家し35歳で悟りを開き、常に怠りなく一生努め続けて「法の道」を歩まれた。ブッダのスローガンは、「一切の形成されたものは無常であり苦である。一切の物事は我あらざるものである」と。これは真理で、どんな世の中になろうとも変わることがない。だから執着を離れなさい。執着＝煩悩や我執の克服に努めると、利己的な自己から無私の自己へと転換してゆきます。このとき「空」なる境地が実現する。これを自己浄化といいます。ブッダは心を大変重視しました。「ものごよは心にもとづき、心を主とし、心によってつくりだされる。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように」さて、ブッダは人間のイチバン厄介な衝動を欲望だとみなしました。「わたしは万力のように人間をひきずってゆくものを貪欲といい、ものすごい激流と呼び、欲望の汚泥である」と、人は「欲望を貪り、熱中し、溺れている」とも。ブッダの温厚で慈悲深い一面とは正反対の厳しい人間観です。そして「欲望の汚泥」にドップリ浸っている状態を「無明（むみょう）」と名づけました。無明とは智慧のないこと、目が闇に覆われて見えるべきものが見えないことを意味します。欲望という激流（執着）に翻弄され、生き―死に、を果てになく繰り返す（輪廻流転する）のが、人間の悲しい存在なんだ。2500年も前に説かれたブッダの考えや人柄は、先の見えない黄昏どきに光明をもたらす、ものすごく洗練された大人の考え方であり態度だと思った。最後に、中村元氏のスルドイ！お言葉、「実践なき思想はありません。もし実践がなければ思想は空論となってしまうでしょう。ブッダは常に実践を重んじました」。瞑想が重視される所以です。普段なかなかわかりにくく退屈で、敬遠してしまう仏教の事柄を本書は丁寧にかみ砕いて説明してくれています。例えば、我々は自分が見たいように世界を見るので、そこには思い入れによる仮構世界が構築される、そこから苦しみが始まる等々。「まあ、こんなもんだと思っとけばいいです」といった単に簡単に喩え直したというものではなく、読み手に対して誠実な姿勢がうかがえます。途中、ブッダや仏教に関わる人物譚が効果的に挿入されています。入門書として最適だと思いますが、ブッダの教えのポイントに触れたいという人にも、漢訳教典を読むまえに、本書を手にされることをおすすめします。
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<title>五輪書 (岩波文庫)</title>
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 学生時代に剣道の経験があるのと、『バガボンド』で興味をひかれたので購入。剣法の正道として心技体の一致を説いた名著です。 
 心技体の一致は剣道を始める際に最初に教わる基本であり、極意でもあります。器に入れた水のごとく柔軟に機を知り、先をとる。いかなる相手、場面にも対応できるよう常日頃から技を磨く。攻めるときはもちろんのこと、構え、動かないときも心技体の一致をもってする。剣道に限らず、えてしてこれが難しい。 
 渡辺氏による丁寧な校正、傾注にも感謝。旧漢字、旧仮名遣いが少なく、かつひらがなが多く手直しされており、かなり読みやすくなっています。 大きな ワイド版である。
 活字も大きく、注釈もわかりやすい。

 なぜ「五輪書」と名付けられたのかがわかる。
 実に、詳細に、武蔵は、兵法に関して書き残したことか。
 声をだして、読むと リズム感があり、気持ちいい。
 もっと早く読むべきであったと悔しい思い。
 具体的であり、武蔵の思考過程がよくわかる。
 最後の「解説」は、格調高く、具体的である。
 晩年の武蔵は 「がん」であったらしいと述べられている。現代語でありませんので，
まだ五輪書の内容を知らず，きちんと理解したいと思うなら，
わかりやすく解説された本を先に読んでおいた方が良いです。
しかし解説者の思想などが混入していないシンプルなものを
読んでみたい場合は手頃なのでは。
ちなみに字が大きいです。
これを読んだからといって、強くなれるわけではありませんが、この本を読み、その意味するところを心に刻み込み、日々の鍛錬を積めば、万の道において大成すること間違いなしです。 
難しいことは何も書いてありません。剣術のノウハウも、レビューにある構えについて以外は概略程度しか書かれていません。殆どが、戦いの際、「勝つ」ための心構えについて書かれています。 
一見簡単なようで、いざやってみると中々難しい。剣の道を、例えば議論に置き換えてみましょう。そのとき、相手の有利なポイントを潰しながら、常に平常心で戦うことが出来る人はどれだけいるでしょうか。 
「道」の基本をしっかり抑え、その上で応用も利かせて戦える人はどれだけ居るでしょうか。 
武蔵のファンでなくても、心の修養を目指し、大志を抱く人物であれば、是非手にとってほし一冊です。これは単に人を斬る事に関する宮本武蔵直伝の剣術の奥義書ではなく、人生観、死生観、死を賭した時の勝負勘や心構えなどを示唆する人生訓でもある???剣道の歴史において異色とされる宮本武蔵の二天一流は、次のような考えから生まれている。「太刀はひろき所にてふり、脇差はせばき所にてふる事、先ず道の本意也。此一流におゐて、長きにても勝ち、短きにても勝つ」。つまり宮本武蔵の革新は、勝つという1点をただ合理的につきつめたところにあることがわかる。 ???宮本武蔵が二天一流の奥義を記した本書は、勝つことにおいて何が理にかなうものであり、何がかなわないのかを説いている。構成は地水火風空の5巻からなり、「地之巻」では兵法や二天一流の概略を、「水之巻」では太刀筋や剣術の極意を、「火之巻」では実戦に勝つための要諦を、「風之巻」では他流派との比較を論じ、最後の「空之巻」では二天一流の到達した境地をまとめている。 ???圧巻は「目の玉うごかずして、両わきを見る事肝要也」などの、切り合う瞬間の動作を細かく記したところ。実戦の緊迫したシーンがここに浮かび上がってくる。また、「構はありて構はなきという利也」と言いきっているのもおもしろいところ。構えや太刀をどう振るかにとらわれず、ただ敵を切る心をもて、それが「理」だ、とするのだ。ここに宮本武蔵の真髄が見えてくる。 ???本書がビジネス書として読まれているのは、極限で平常心を保ち、相手を観察し、心理戦を制し、環境を利用し、先手を取る、といった奥義から多くのアイデアをくみ取ることができるからだ。（棚上 勉）
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